11月朝礼講話「離島でなければ助かったのに・・・」とならないために

 

私は20代の頃、海外医療従事のためイランに赴任したことがある。当時(1978年頃)のイランは「王の中の王」と言われる絶対的王国であった。アメリカからは石油輸出の見返りに大量の武器を輸入し、民衆は抑圧されていた。しかし、私が赴任した頃から民衆による革命が始まっており、若いかけ出しの医師である私は、胸が高鳴る思いを感じた。

 

革命が起こっている中での医療従事は、初めての体験のため、不安を払拭するためにも身近にいるイランの青年たちに空手を教えることで友好を育む(?)日々を過ごした。民衆の意識改革から始まったイラン革命は成就した。革命後のイランでは選挙が行なわれ、中近東の大国へと変貌し、民衆のアイデンティティが確立したのである。日本とイランの友好は今でも繋がっている。

 

さて、私たちの病院に革命は必要だろうか。革命と言えば大袈裟と思うかも知れないが、すべての社会あるいは組織では大なり小なり改革あるいは改善によって進歩し続けているのではないだろうか。とくに医療機関は前進し続ける組織であり、少なくとも時代の流れや変化に即応した私たちの意識改革は必要と思われる。すなわち、病院がどうなるかではなく、病院をどうするか、私たちがどのような病院にするかなのだ。これまでの離島医療を変えていく意識が大切なのだ。私は、種子島だからこそ出来るかも知れないと考えている。

 

「いつか」なんて絶対ない。いつかあるものなら今、絶対あるんだ。今ないものは将来にも絶対ない(岡本太郎)

 

私はこの言葉にいつも背中を押される。物事を先延ばしにすることは簡単だし楽である。その上、責任もうやむやとなる。「いつか」がある職員たちは、真面目かつ熱心に診療や看護に取り組む「いつか」の無い職員の足を引っ張るだろう。そして、医療に真摯に取り組みたい人たちは、一人また一人とこの病院から去って行くだろう。「なぜ辞めるのだろう? 適当にやっておけば人生送れるのに」と、残された職員たちはこのように思うに違いない。「どうせ離島なんだから」。この言葉こそ、病院を堕落させるキーワードである。

 

私たちはどこに生まれようと、どこで暮らそうと、しあわせな人生を望んでいる。与えられる人生ではなく、自分でつかみ取った人生の方がしあわせ度は高いだろう。

「いつか考えよう」ではなく「今、考えよう」。「いつかしよう」ではなく「今しよう」。「いつかしあわせになるさ」ではなく「今しあわせを感じよう」。

 

私たちが離島医療を変えていく意識改革をめざせば、少なくとも種子島医療のあり方は大きく変わる。「離島でなければ助かったのに・・・」とならないために。

 

病院長 髙尾 尊身